葬儀のスタイルを一変させた要因は、火葬の普及だ。こちらはテクノロジーの進化、もっと大げさにいえば産業革命と連動している。前に、日本の葬送はほとんどが土葬だった、といったけれども、それは必ずしも宗教的な理由によるわけではない。火葬にくらべると、土葬は省エネなのである。葬儀は死者を弔う精神的な文化だが、もうひとつの目的は遺体の処理だ。火葬も土葬も目的は遺体の破壊で、土葬の場合はゆっくり土に還るところを、火葬は人の手でいっきにやってしまう。つまり人工的な方法といえる。火葬も古くからあった習俗ではあるが、火葬にするのは大変だった。野外に浅い穴を掘ってわらなどの燃料と棺を置き、さらに燃料を積み上げて火をつける「野焼き」。火葬場の原型ともいえる屋根のついた「火屋」。いずれにしても、火葬は時間も手間もかかれば、燃料だってばかにならない。ひと一人焼くには一晩以上を要したともいう。焼けば異臭が出るから、遠方まで遺体を運ばなければならず、広いスペースも、火の番人も要る。昔は死がいまより日常的だった。大人も子どももよく死んだ。まして武士は死ぬのが商売みたいなものだった。そのたびに火葬になんかしていられない、それがほんとのところじゃなかっただろうか。
農山村地帯では、ミロクが稲や蚕の生産と結びついている。稲が豊作になるのと同様に、換金により現金収入をもたらす蚕をたくさんとることが可能というので、黄金の世、豊饒の満ち溢れる世界を現世に移しかえて「ミロクの世のようだ」といったのである。そして八十八歳になると、人は神のような段階に入るが、それはまたミロク菩薩の支配する世界に転生するという潜在意識があって、マユダマがたわわに飾られた風景を「まるでミロクの世のようだ」と表現している。ミロクの年、ミロクの世にまつわる伝承は、弥勒が米の菩薩であるという意味を含むようになっているからである。それは米の文字によるのであり、これが八十八に分解されて、記号化したということになるのである。
今、嫌われる人の特徴として挙げられるキーワードの筆頭は「KY」。これは「K=空気、Y=読めない」人のことだ。「あいつ超KY。」「取引先もカタマってた……。ほんと迷惑。」などと、20代の若いサラリーマンなら、すでに使っている人も多い。まわりの空気を乱す人が敬遠されるのは職場も同じ。みんなが急ぎの仕事でバタバタしているところでのんびりしていたり、静かに集中して仕事をすべきときに突拍子もない発言をしたりすると、周囲から白い目で見られる。場の雰囲気を察することはむずかしい。しかしまずは、ビジネスの要、「報告」のタイミングだけは外さないように。とくに時間。朝、上司が出社して席につくやいなや「課長、○○の件ですが……」では、何かトラブルが起こったかとドキリとさせるだけ。外出間際や帰社時間近くも慌ただしいのでよくない。また相手が誰であっても、細かい数字の計算など、集中力を要する作業に向かっている人に突然話しかけるのはいやがらせに近い。ただ、トラブルなどの緊急事態は別。「忙しそうだから」「出かけるところだから……」と遠慮している場合ではない。ここは「お忙しいところすみませんが、急ぎなので」と断って、すみやかに報告するのが正解。最優先すべきは「相手の都合」。様子を見計らいつつ「今よろしいですか?」「○○の件でご相談があるのですが、今お手すきですか」などと、話せる余裕があるかどうか尋ねる形で話しかけよう。